海女の仕事・歴史・Q&A
ところてんや寒天の原料は、海女が海の底から採るテングサと呼ばれる海草です。
ところてんは千年も前から作られ、寒天は三百年程前から作られています。
ここでひとつ昔話を。
「京都のとある旅館の番頭が寒い冬の日にところてんを外に捨ててしまいました。数日後、ひからびてしまったところてんが外に捨てられているのを見つけた主人は、それを拾い、温かい水につけてみました。すると、いつもよりおいしいところてんができました。主人は喜んで、おいしいところてんを寒天と呼ぶことにしました。めでたし、めでたし。」
(ミキモト真珠島の資料「海女」より)
ところてんは千年も前から作られ、寒天は三百年程前から作られています。
ここでひとつ昔話を。
「京都のとある旅館の番頭が寒い冬の日にところてんを外に捨ててしまいました。数日後、ひからびてしまったところてんが外に捨てられているのを見つけた主人は、それを拾い、温かい水につけてみました。すると、いつもよりおいしいところてんができました。主人は喜んで、おいしいところてんを寒天と呼ぶことにしました。めでたし、めでたし。」
(ミキモト真珠島の資料「海女」より)
海女の仕事・歴史・Q&A
海の中には危険がいっぱいです。
信心深い海女達はいつも漁に行く前には海女と海の守神である「海士潜女神社」(めまかづきめじんじゃ)、「青峰山正福寺」(あおみねさんしょうふくじ)に出向き、安全祈願をしています。
海には竜神様が棲んでいるという話があり、海女達は、その伝説を大切にしています。
大漁のときには、竜神様のおかげだといい、感謝します。
相島(おじま=ミキモト真珠島)とそこから見える小高い丘の上にある二つの古いではつながっていて、天守に棲む竜神様の通り道になっているのだそうです。
大晦日の夜には、竜神様が行き来をするため、この間の海(パールブリッジがかかっているところ)には船を通さなかったとか。
竜神様の怒りをかってどうなることやら・・・。
(ミキモト真珠島の資料「海女」より)
信心深い海女達はいつも漁に行く前には海女と海の守神である「海士潜女神社」(めまかづきめじんじゃ)、「青峰山正福寺」(あおみねさんしょうふくじ)に出向き、安全祈願をしています。
海には竜神様が棲んでいるという話があり、海女達は、その伝説を大切にしています。
大漁のときには、竜神様のおかげだといい、感謝します。
相島(おじま=ミキモト真珠島)とそこから見える小高い丘の上にある二つの古いではつながっていて、天守に棲む竜神様の通り道になっているのだそうです。
大晦日の夜には、竜神様が行き来をするため、この間の海(パールブリッジがかかっているところ)には船を通さなかったとか。
竜神様の怒りをかってどうなることやら・・・。
(ミキモト真珠島の資料「海女」より)
海女の仕事・歴史・Q&A
常に自然を愛し、自然と共存してきた海女は、原始的な漁業方を守り続ける事で獲物の乱獲を防ぎ、自然の恵みに感謝し、海へ潜っています。
深い海の底にたどり着くために足ひれをつけることはありますが、酸素ボンベは使う事はありません。
「うまいものはふた箸残せ、食い切るな」と御木本幸吉の健康の秘訣にあるように、欲張らない事、大切な海の生命を守り続けているのです。
(ミキモト真珠島の資料「海女」より)
深い海の底にたどり着くために足ひれをつけることはありますが、酸素ボンベは使う事はありません。
「うまいものはふた箸残せ、食い切るな」と御木本幸吉の健康の秘訣にあるように、欲張らない事、大切な海の生命を守り続けているのです。
(ミキモト真珠島の資料「海女」より)
海女の仕事・歴史・Q&A
ほとんど一年中海女は海に潜って仕事をしています。
冬が旬というウニの漁は寒い冬の仕事です。
このように、獲物により時期や乱獲を防ぐための制限が決められています。
【あわび】
天然真珠が採れるかも知れない・・・。
でも、食用としての価値が高いアワビ。
アワビは4月から9月頃が漁期です。
親指と人差し指の幅より小さい物は採ってはダメ!
(ミキモト真珠島の資料「海女」より)
冬が旬というウニの漁は寒い冬の仕事です。
このように、獲物により時期や乱獲を防ぐための制限が決められています。
【あわび】
天然真珠が採れるかも知れない・・・。
でも、食用としての価値が高いアワビ。
アワビは4月から9月頃が漁期です。
親指と人差し指の幅より小さい物は採ってはダメ!
(ミキモト真珠島の資料「海女」より)
海女の仕事・歴史・Q&A
ヒューヒューというなんとなく哀調のある口笛。
これは、海女独特の呼吸法なのです。
深い海で息を止めて作業をした後、急に大きな呼吸をすると肺や心臓を傷めるからです。
『磯笛』と呼ばれるこの口笛は「日本の音風景100選」にも選ばれています。
(ミキモト真珠島の資料「海女」より)
これは、海女独特の呼吸法なのです。
深い海で息を止めて作業をした後、急に大きな呼吸をすると肺や心臓を傷めるからです。
『磯笛』と呼ばれるこの口笛は「日本の音風景100選」にも選ばれています。
(ミキモト真珠島の資料「海女」より)
海女の仕事・歴史・Q&A
≪磯着≫
海女の着ている白い服は磯着(いそぎ)と呼ばれている。
白い色は海の中で体を大きく見せ、サメやフカを威嚇します。
ミキモトで公開中の観光海女の磯着は昭和初期の海女のスタイルで、江戸時代には腰巻ひとつでした。
現在ではウエットスーツを着るようになりました。
≪磯めがね≫
めがねの中にたくさん空気を入れておくと目が痛みません。
≪磯桶≫
うきわを兼ねた獲物を入れる桶。
海女は、『魔よけのおまじない』として星型の「セーマン」と格子型の「ドーマン」というマークを持ち物につけます。
(ミキモト真珠島の資料「海女」より)
海女の着ている白い服は磯着(いそぎ)と呼ばれている。
白い色は海の中で体を大きく見せ、サメやフカを威嚇します。
ミキモトで公開中の観光海女の磯着は昭和初期の海女のスタイルで、江戸時代には腰巻ひとつでした。
現在ではウエットスーツを着るようになりました。
≪磯めがね≫
めがねの中にたくさん空気を入れておくと目が痛みません。
≪磯桶≫
うきわを兼ねた獲物を入れる桶。
海女は、『魔よけのおまじない』として星型の「セーマン」と格子型の「ドーマン」というマークを持ち物につけます。
(ミキモト真珠島の資料「海女」より)
海女の仕事・歴史・Q&A
志摩地方で海女が女性の専業であるのは、女性の方が皮下脂肪が多いため海の中で冷たさに耐えられ男性より我慢強く、水の中で長く息を止められるためだといわれています。
一方、男性が沖合漁業に出ている間、女性が近くの海で海草や貝類を採っていたことが、海女が女性の仕事である所以(ゆえん)とも言えるでしょう。
(ミキモト真珠島の資料「海女」より)
一方、男性が沖合漁業に出ている間、女性が近くの海で海草や貝類を採っていたことが、海女が女性の仕事である所以(ゆえん)とも言えるでしょう。
(ミキモト真珠島の資料「海女」より)
海女の仕事・歴史・Q&A
養殖真珠が誕生したのは1893年。
それ以前日本では真珠は宝石ではなく万能薬として使われ、海女があこや貝を拾い天然真珠を集めていました。
御木本幸吉により真珠の養殖が盛んになった大正時代、母貝となるあこや貝を採ったり貝掃除などの貝の世話をするのは海女の仕事でした。
また、海の資源に頼って生きてきた海女たちにとって、真珠養殖との携わりは安定した収入源でした。
真珠島にある御木本幸吉の銅像は海女たちの呼び掛けによって建立された物です。
真珠の育て親でもあった海女達ですが、今では貝自体育てられ、養殖筏(いかだ)が使われていますので、海女と真珠の関わりはほとんどなくなってしまいました。
ミキモト真珠島では、古くから真珠と関わる海女の姿を紹介しています。
(ミキモト真珠島の資料「海女」より)
それ以前日本では真珠は宝石ではなく万能薬として使われ、海女があこや貝を拾い天然真珠を集めていました。
御木本幸吉により真珠の養殖が盛んになった大正時代、母貝となるあこや貝を採ったり貝掃除などの貝の世話をするのは海女の仕事でした。
また、海の資源に頼って生きてきた海女たちにとって、真珠養殖との携わりは安定した収入源でした。
真珠島にある御木本幸吉の銅像は海女たちの呼び掛けによって建立された物です。
真珠の育て親でもあった海女達ですが、今では貝自体育てられ、養殖筏(いかだ)が使われていますので、海女と真珠の関わりはほとんどなくなってしまいました。
ミキモト真珠島では、古くから真珠と関わる海女の姿を紹介しています。
(ミキモト真珠島の資料「海女」より)
海女の仕事・歴史・Q&A
志摩地方は海に面し、耕地面積が少なく生計の大半を海の資源に頼ってきました。
また、アワビ、サザエ、海草類などが豊富な自然の条件がそろった志摩地方には、全国の海女の半数以上が生活しています。
漁獲量の減少、後継者不足などで年々数が減っていますが、現在1300名の海女がいます。
平均年齢は72才、80才台の海女も健在です。
(ミキモト真珠島の資料「海女」より)
また、アワビ、サザエ、海草類などが豊富な自然の条件がそろった志摩地方には、全国の海女の半数以上が生活しています。
漁獲量の減少、後継者不足などで年々数が減っていますが、現在1300名の海女がいます。
平均年齢は72才、80才台の海女も健在です。
(ミキモト真珠島の資料「海女」より)
海女の仕事・歴史・Q&A
「海女」についての最も古い記録は三世紀の『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん)に残されています。
しかし、有史時代よりはるか昔から海女は全国各地に生活していたと思われます。
海に囲まれた島国の日本で、人々が生きていくための食料として、海の底から貝などを採っていたことは、発見されている貝塚からもうかがい知る事ができます。
(ミキモト真珠島の資料「海女」より)
しかし、有史時代よりはるか昔から海女は全国各地に生活していたと思われます。
海に囲まれた島国の日本で、人々が生きていくための食料として、海の底から貝などを採っていたことは、発見されている貝塚からもうかがい知る事ができます。
(ミキモト真珠島の資料「海女」より)

